中間市遺族会「忠霊塔」清掃活動
令和5年3月26日(日)
本日小雨。年2回(3月・10月)中間市遺族会(倉田賢次 会長)の方々による中間市忠霊塔清掃活動にお伺いしました。小雨降る中、黙々と行なっている皆様の清掃活動の姿に、ただただ頭の下がる思いでした。
中間市遺族会役員の方の手記を記録していましたので…『我家、母方の兄弟は、先の大戦で、長男が28歳で魚雷が駆逐鑑・涼月の前部と後部に1本ずつ命中、火薬庫を誘爆させて大爆発で130名と共に戦死。二男は27歳で大半がジャングルのルソン島にいたものの、食糧の補給は完全に途絶え、蛾死者が続出し、マラリアや赤痢で部隊としての統制は乱れ、日本兵同士で食糧をめぐって殺し合いをしたりと戦争どころではなくなった中、降伏までに日本軍は20万人が、戦死あるいは戦病死したようです。三男は18歳でクェゼリン島で、海からの砲撃によって退却、兵士をかき集めて攻勢に出る。敵地陣地に突撃し玉砕、日本側の戦死者4947名。そして四男は予科練入隊後、直ぐ、終戦を迎えました。我が、叔父たち3人が祭られている中間市忠霊塔。その忠霊塔清掃に、今年も出かけてきました。そして、毎年の事ですから、年々遺族の皆さんも高齢になり段々と出席者が少なくなってきました。これから、安心、安全な世の中になるよう、母の代理として霊前に祈ってきました』
その戦争の記憶を教えて頂いていることに、心から感謝致しております。中間市民全体で平和を守っていかなければならないと本日も心から思いました。